晩年、チャップリンはヴェヴェイに住んでいた。
私のホテルから歩いて30分くらいのところだ。
今は記念館として保存され、観光地になっている。
チャップリンの喜劇は、どこか寂しい。
チャップリンが色んなヘマをすると、観客はどっと笑うのだが、
その時のチャップリンの表情には、哀愁が漂っている。
本人にできるのは「苦笑い」だ。
記念館には、チャップリンが孫たちに囲まれて
穏やかな表情で寛いでいる写真が展示されている。
私はほっとした。

晩年、チャップリンはヴェヴェイに住んでいた。
私のホテルから歩いて30分くらいのところだ。
今は記念館として保存され、観光地になっている。
チャップリンの喜劇は、どこか寂しい。
チャップリンが色んなヘマをすると、観客はどっと笑うのだが、
その時のチャップリンの表情には、哀愁が漂っている。
本人にできるのは「苦笑い」だ。
記念館には、チャップリンが孫たちに囲まれて
穏やかな表情で寛いでいる写真が展示されている。
私はほっとした。

ヴェヴェイに到着した最初の日のことだ。
ケーブルカーを降りてホテルへ向かう途中、係留された幌馬車の周りにテントを張り、食事をしている一家族に出会った。
チェックインの折に、受付で尋ねてみた。
「玄関前の広場で、ピクニックをしている人たちがいますね」
受付係は、少し困ったような顔で答えた。
「ピクニックではありません。しばらくあそこに住むのです。この季節になると、毎年やって来ます」
さらにこう続けた。
「ヨーロッパ中を移動しながら暮らしている人たちです。このあたりには一か月ほど滞在して、またどこかへ行ってしまう。行き先は誰も知りません。そろそろ旅立つ頃でしょう」
「危険はないのですか」と聞くと、
「心配はいりません。おとなしい人たちですよ」と、静かに答えた。
数日後、チェックアウトの朝。
玄関前の広場を見て、私は思わず足を止めた。
旅する人たちの姿は、跡形もなく消えていた。
そこには、最初から何もなかったかのように、
整えられた静かな広場が広がっているだけだった。
あれは、ほんの短い夢だったのかもしれない――
そんな錯覚にとらわれるほど、見事に消え去っていた。


レマン湖畔のヴェヴェイでの、夏休み最後の朝。
ガウンのまま、いつものテラスで朝食をとる。
荷物はケーブルカーで運んでもらい、
私たちはワイン畑の間を歩いて湖畔まで降りることにした。
滞在中、私たちの世話をしてくれた執事に、
別れ際、こう伝えた。
「またいつか、このホテルに帰ってくるから」
すると彼は、少し笑って言った。
「その時は、うちのハチを貸してあげるよ」
「なぜ?」
「毎朝、二人だけで散歩するのはもったいないからさ。
うちの秋田犬のハチも、一緒に歩けたら喜ぶよ」
「今度は早めに言ってよ」
「日本では、私たちの愛犬のファーリンが、
散歩に行こうって首を長くして待っているよ」
湖の光と、あの朝の空気は、
きっとずっと忘れないと思う。
ふとした瞬間にいろいろなことを思いつきます。
空の色、木の匂い、
通り過ぎる人の表情や、
遠くの山の形。
そんな小さな出来事の中に、
なぜか心に残るものがあります。
長く小児科医として子どもたちと向き合う中で、
人の心や人生について
考えることも多くありました。
忙しい毎日の中では、
そうした思いはすぐに通り過ぎてしまいます。
そこで、
散歩の途中で思いついたことや、
旅の記憶、日々の小さな発見を、
静かに書き留めてみようと思いました。
この場所が、
同じように日常をゆっくり味わう方にとって
少しでも心地よい時間になれば嬉しく思います。
どうぞ、気軽にお立ち寄りください。